子供の頃から集めたセル画のコレクションです。

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松本アニメの金字塔といえるこの作品。僕のアニメ熱のスタートはここから始まりました。あまりの多くのシリーズ化に少し話がむちゃくちゃになってきているきらいはありますけど、永遠のヒット作品でしょうね。
自分の持っているヤマトのセルといっても偏っていて、とてもコレクションと呼べる物ではないですね。今もっぱり探しているのは、「さらば」のサーベラーです。

宇宙戦艦ヤマト (wikipediaより転載)

『宇宙戦艦ヤマト』(うちゅうせんかんヤマト)は、1974年に讀賣テレビ放送・日本テレビ放送網で放送されたテレビアニメ及び、1977年に劇場公開されたアニメーション映画作品。通称「一作目」「ヤマト」「ヤマト1」「パート1」。
初期の英語表記は『Space Cruiser Yamato』[1](再和訳すると『宇宙巡洋艦ヤマト』となる)とされたが、現在は『Space Battleship Yamato』に変更されている。松本零士の漫画での表記は『Cosmoship Yamato』である。
アメリカ合衆国では、『Star Blazers』[2] の題名でテレビ放映された。
テレビシリーズの続編としては、『宇宙戦艦ヤマト2』、『宇宙戦艦ヤマトIII』。テレビスペシャルとして『宇宙戦艦ヤマトII ヤマトよ永遠なれ!』、『宇宙戦艦ヤマトIII 太陽系の破滅』、フジテレビ系で『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』が放映されている。
本作の後、劇場用アニメーション映画として『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』、『ヤマトよ永遠に』、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』、『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』が公開された。2010年には初の実写化映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト』が公開された。

概要

戦争としての戦闘の描写、その中で繰り広げられる人間ドラマと主人公の成長、詳細なSF設定など、放映当時(1970年代)のアニメーション作品としては斬新な試みが取り入れられた連続作品である。当初は同時間帯に放送されていた『アルプスの少女ハイジ』『猿の軍団』などの影響もあって視聴率が低迷したため、予定の回数を待たずに打ち切られた。しかし、再放送などで改めて注目され、再編集した劇場映画が公開される頃までには社会現象とも言える大ブームとなっていた。
その後の『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』『超時空要塞マクロス』『新世紀エヴァンゲリオン』などのアニメブームの先駆けであり、映画・レコード・小説・漫画・アニメ雑誌・ラジオドラマ・キャラクター商品など、多くの足跡を残した。後にビデオ・CD・LD・DVD・テレビゲームなどもリリースされている。
本作品の著作のクレジットはオフィスアカデミーであり、小説や漫画などの形で先行した、いわゆる原作(漫画、小説)が存在しない

ストーリー

西暦2199年、地球は謎の異星人国家・ガミラス帝国の侵略を受けていた。ガミラスは冥王星に前線基地を建設し、西暦2192年より、地球に対して遊星爆弾による無差別攻撃を加えていた。海は蒸発し地球は赤茶けた姿に変貌し、放射能汚染で地上の生物は死滅する。人類は地下都市を建設し、地球防衛軍を結成して抵抗を続けていたが、科学力の差の前になす術もなく、地下にも放射能汚染が進行し、人類の絶滅まであと一年と迫っていた。
最後の地球防衛艦隊も壊滅し人類生存の希望は完全に潰えたかに見えた時、外宇宙から飛来した一隻の宇宙船が火星に不時着、通信カプセルが回収される。その中にはイスカンダル星から、「放射能除去装置 コスモクリーナーD」を受け取りに来るように」との救援メッセージと、航海に必要な波動エンジンの設計図が納められていた。
九州、坊ノ岬沖に沈んでいた旧大戦の戦艦「大和」は、選ばれた人々と生物を載せて地球を脱出させる宇宙移民船へと極秘裏に改造中だった。地球防衛軍は、「大和」にこの波動エンジンを搭載し、宇宙戦艦ヤマトとして蘇らせる。

14万8千光年の彼方、大マゼラン星雲のイスカンダル星に向け、地球時間1年以内に帰還しなければ人類滅亡という状況下、宇宙戦艦ヤマトは人類最後の希望を託されて往復29万6千光年の旅に発つ。
ヤマトはガミラス帝国と戦い、未知の宇宙空間における障害を乗り越えながら、イスカンダル星を目指して行く。

制作の経緯

本作は、虫プロ商事と瑞鷹エンタープライズに在籍していたプロデューサーの西崎義展と虫プロダクションの山本暎一が1973年の初め頃に企画を立ち上げた。前2作(『海のトリトン』、『ワンサくん』)を商業的に失敗で終えた西崎はロバート・A・ハインラインの「メトセラの子ら」における「地球の危機的状況から脱出して宇宙に移住の地を求める」話に刺激を受けた。これに豊田有恒とスタジオぬえのメンバーが参加して練られたものである。テレビアニメ草創期に虫プロでアニメの脚本を執筆していた豊田は、当時アニメ界から離れていたが、西崎と虫プロ出身である山本暎一の要請に応える形で参加した。
ちなみに西崎は、子供の頃に海野十三や南洋一郎によるSF冒険作品から影響を受け、透明な飛行機や空飛ぶ戦艦などに憧れていた。
最初の企画案は、藤川桂介と豊田有恒が競合する形で創られた。
藤川案におけるタイトルは『宇宙戦艦コスモ(仮題)』。
一方、豊田案におけるタイトルは『アステロイド6』。『西遊記』を下敷きにして遠い異星に人類を救う放射能除去装置を取りに行くという基本ストーリーで、この段階での敵はコンピュータだった。宇宙船は、小惑星そのものにエンジンを組み込んだもので、「岩石宇宙船イカルス」と呼ばれていた。
豊田案が提出用企画書の原案となり、岩石宇宙船の内部に戦艦が内蔵された「アステロイドシップヤマト」なるアイデアに変更された。その名残りがアステロイドリングに見られる。
宇宙船のデザインはスタジオぬえの松崎健一が行い、戦艦「三笠」のイメージから「長門」らしくなり、最終的には「大和」となった。企画書(後述)に描いたのは背景監督の槻間八郎だった。
当時の世相として、公害問題やオイルショックなど大規模な社会問題が頻発し、『日本沈没』や『ノストラダムスの大予言』など、“滅亡”をテーマにした作品がブームとなっていた。放射能汚染による地球の滅亡と復活という内容には、そうした世相が企画当初から意識されていた。
その後、作家の石津嵐、脚本家の藤川桂介、イラストの斉藤和明、背景美術の槻間八郎が加わり検討が繰り返された結果、敵は異星人となり、放射能汚染された地球を救うためにヤマトが放射能除去装置を求めてイスカンダル星を目指すという大筋が完成した。この時点で、ワープ航法や波動砲といったヤマトを象徴するギミックも考案されている。
1973年夏の終わり頃までに『宇宙戦艦ヤマト』の名を冠した企画書[16]が完成。全45ページにおよぶ同企画書は、『ポセイドン・アドベンチャー』や『日本沈没』に触れる導入部から始まり、全52話のプロット、ヤマト艦内の命令系統図、ヤマト本体のスペック、イスカンダル到着までの日程・行程、乗組員の制服・武器、さまざまな惑星・異星人・宇宙船などに関する諸設定をイメージ・イラスト付きでまとめていた。
1974年の4月頃になって、松本零士がデザインのスタッフとして参加依頼を受けた。これは、設定制作の野崎欣宏の推薦によるものだった。結果的に、キャラクターや個々のストーリー作りなど作品制作に深く関わるようになる。さらに石黒昇のサポートを受けながら監督も務める。松本の監督就任は、監督を務める予定だった山本暎一が、他の仕事のため1974年6月末にヤマトから抜けることになったのが理由である。松本は、キャラクターやメカのデザインをするとともに、『新選組血風録』を元に若者の集団劇を構成した。
別説では、『セクサロイド』に感銘した西崎が松本にデザイン監修を持ちかけたところ、「全てを任せてもらえるのでなければ」といったん断られたが、上記のように山本が離脱したため、西崎が松本の条件を受け入れることになったとされている。これについて西崎は1978年のエッセイで、『セクサロイド』で機械と人間がうまく共存している描写に共感を覚え、また同作における女性のイメージが自分の理想像になったと述べている。
松本は、上記の1973年の企画書にあったキャラクター設定・メカ設定を一新し、1974年5月21日に基本ストーリーの初稿を執筆した。「ガミラス」という名称が初めて使われたのも、この稿である。

放映の決定

豊田と西崎はテレビ局へ企画を持ち込み、『宇宙戦艦ヤマト』の放映枠は日本テレビ系の日曜19時半に決まった。企画当初は虫プロでのアニメ制作が予定されていたが、虫プロは倒産し、本作はオフィス・アカデミーで企画製作を行うこととした。なお、『宇宙戦艦ヤマト』の企画は西崎プロデューサーが在籍していた瑞鷹で行われ、フジテレビ系の裏番組『アルプスの少女ハイジ』が瑞鷹の製作番組だったため、道義上の問題から、別会社での製作になったのだという瑞鷹の高橋茂人の見解もある。
なお、当初の企画書では全52話だったが、放送決定時には全39話に短縮された。
『ハイジ』の裏番組になったため『ハイジ』の視聴者である幼児をターゲットとせず、本作は『ルパン三世(旧)』、『ゼロテスター』と同じく中学生以上を取り込む事になった。1974年夏に読売テレビへのプレゼン用のパイロットフィルムが完成した。

パイロット版

1974年8月に読売テレビに売り込むためのパイロットフィルムが制作された[23]。作曲家の宮川泰は参加しておらず、BGMには映画『2001年宇宙の旅』でも使用されたリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」など3曲が使用された。LDではそのままの形で収録されているが、DVDでは版権の問題で音声完全収録が不可能となり、BGMは「無限に広がる大宇宙」「地球を飛び立つヤマト」を使用した。
1974年8月/9分/イーストマンカラー
スタッフ
絵コンテ:岡迫亘弘、石黒昇
演出:岡迫亘弘
原画:岡迫亘弘、芦田豊雄、野館誠一、正延宏三
キャスト
ナレーション:納谷悟朗
イスカンダル星のスターシャ:平井道子

製作状況

制作するスタジオは広く、スタッフの質と量は通常のテレビアニメなら4シリーズ分が制作できるだけの人材が投入されたが、西崎プロデューサーによる会議の連続でスケジュール管理が破綻していたと安彦良和の証言がある。そのため現場はかなり過酷な環境であったと言われ、打ち切りは低視聴率のせいではなく、放送スケジュールに間に合わせてフィルムを納品できなくなったため西崎の側から降りたのではないかと、絵コンテで参加した安彦良和が推測するほどであった。映像が間に合わずシナリオだけで録音をしたという声優の証言もある。作中の七色星団会戦は、「タイガープロ(作画プロダクション)をつぶしかねない程の日程と描きこみが行われた」とする当時の同プロダクション代表・白土武の証言もある。要因として、西崎の会議主義のため会議が多く、製作現場で描く時間がなかったことが挙げられている。後年に徳間書店から発売されたロマンアルバムなどの資料によれば、会議中に作画された絵がそのまま決定稿として採用されたという。
音楽とストーリーの融合性も当初から重視していた西崎は、『ワンサくん』で組んだ宮川泰を引き続き起用し、山本暎一と相談しながら、迫力あり、かつ番組の基本テーマを強調するような音楽を製作するよう依頼した。
主題歌を歌ったささきいさおの証言によれば、プロデューサーである西崎からは「想いをこめて男のロマンを」と、音楽監督である宮川からは「いさましく」と指示されたため、混乱したという。録音テイクでは、かなりのNGが出た後、声を嗄らしたささきの歌声が、悲壮なロマンを彷彿とさせるということで決定となったそうである。

別バージョン

第1話、第2話、第22話には諸般の事情により本放送で使用されなかったり、再放送以降使用されない別バージョンが存在し、それぞれ「NG版第1話」、「再放送第2話」、「本放送NG第22話」と呼ばれている。これらは『宇宙戦艦ヤマトDVDメモリアルボックス』に映像特典として収録されている。
1話
NG版第1話では島大介の声が仲村秀生ではなく、新人であった野村信次が演じているが、古代の声を演じた富山敬にトーンが重なる為に、落ち着いた仲村秀生に変更、本放送版では島の声だけが再録音された。他にも沖田艦に格納される100式探索艇の角度がやや異なったり、OPとEDの歌手がささきいさおではなく、山崎あきらが子門真人風に歌っている。このNG版第1話の原盤は既に紛失しており、メモリアルボックスでは簡易テレシネで録画した家庭用ビデオから収録している。
2話
再放送版第2話では大日本帝国海軍戦艦大和の出撃シーンと続く戦闘シーンで「軍艦マーチ」がBGMとして使用されている。本放送時に、戦争賛美アニメとレッテルが貼られるのを避けたい松本監督と石崎すすむら若手現場スタッフが西崎プロデューサーに猛反対し、放送直前のためにフィルムのプリントが間に合わなかったため、新潟地方を除く全国では、軍艦マーチの部分をヤマトBGMにテープで切り替えられて放送された。しかし1975年から1978年までの再放送では、本放送のヤマトBGM版のフィルムで放送された地方と、「軍艦マーチ」版のフィルムで放送された地方があった。
22話
本放送NG版第22話とは1975年3月2日に放映された本放送バージョンで、通常のヤマトの宇宙背景は暗紺色が基本であるが、この第22話の七色星団の戦闘での宇宙背景はドメル艦隊側を暗黒星雲、ヤマト側を七色混成発光星域の明色宇宙と区別されるべきであった。ところが通例の暗紺宇宙背景のまま撮影され、制作の遅れから本放送ではNGシーンを修正する間もなく放送されたが、第26話制作の直後には再撮影と編集作業が行われ、1977年以降の再放送には新プリントされた修正版が放送されている。

放映と影響

1974年10月6日から1975年3月30日まで26回にわたり、讀賣テレビ放送をキー局として放映された。 当初は最大39話(企画時では全51話)の放送を予定し、小マゼラン基地撃破編などのストーリーが用意されていたが、裏番組として『アルプスの少女ハイジ』(フジテレビ系)、および特撮SFドラマ『猿の軍団』(TBS系)などが存在し、そのいずれにも視聴率が及ばなかった。しかしながらSFファンからは人気を得て、日本SF大会のファン投票で星雲賞を受賞する。
低視聴率に加えて、前述の過酷な制作、そして1話制作すると100万円単位の赤字が出たために[29]、第3クールへの延長は第1クール中に断念され、終盤への伏線を削除して全26話に再構成の上で製作・放映された。
しかし、再放送や映画化により社会現象とも言える人気を得て、ヤマトブームのみならず、後述のアニメブームの他、アニメ史上でさまざまな影響をもたらした。
中心スタッフの松本零士は本作によって、一躍人気クリエイターとなり、『銀河鉄道999』『宇宙海賊キャプテンハーロック』『1000年女王』など作品が立て続けにアニメ化。1983年春頃まで続く松本アニメブームがもたらされた。
同人誌即売会のコミックマーケットは当初は少女マンガが中心であったが、本作によりアニメのサークルの参加が増え始めた。
1970年代から1980年代の声優ブームは、本作のヒットによってアニメ声優が注目された影響とも言われる。
漫画市場においても、『宇宙戦艦ヤマト』が、漫画とテレビアニメの関係がどちらが主体とは言い難い複雑で密接なものとなり、メディアミックスによる市場拡大されていった転機となった作品との評価がある。
後のクリエイターに与えた影響も大きく、庵野秀明や出渕裕らがヤマトがなければ今の自分はなかったとの旨を語っている。
本作が当時の中高生に人気を博した理由に関して、社会学者からモラトリアムの拡大が指摘されている。当時は高校進学率や大学進学率が大きく伸びており、モラトリアムの期間が拡大した結果、中高生が本作のようなアニメを楽しむ余裕があったとされている。
さまざまなサブカルチャーの影響を受けていることが指摘されるオウム真理教は、本作についてもその一つとして影響が取り沙汰されている。具体的には空気清浄機のコスモクリーナー、行動部隊の白い愛の戦士という名称、教団の自主アニメにおける宇宙船のコクピットとコスチューム、滅びに瀕した人類を救うというモチーフなどである。

日本国外

日本国内だけでなく、アメリカで1979年より『Star Blazers』という題名で、シンジケーション番組としての都市部でテレビ放映された。視聴率はさほどでもなく、その人気はアメリカ全土ではなく東海岸を中心にしたものにとどまった。『科学忍者隊ガッチャマン』の改変に比較すると、本作のアメリカ版の改変はわずかで、宇宙戦艦ヤマトはギリシャ神話に登場するArgo(アルゴー船)の名となり、登場人物もWASP風の名前とされた。
アメリカから再輸出された国々(オーストラリア、イタリアなど)でも同様である。
アジアでは、韓国で1981年に『宇宙戦艦V号』(우주전함 V호)のタイトルで放送され 、『銀河艦隊地球号』(은하 함대 지구 호)という模倣作品も登場した。香港では『太空奇艦』として放送され、ともに漫画版や絵本やムックの海賊版も出版されていた。台湾では『宇宙戰艦』のタイトルで放送された(但し、テレビ版第1作と第2作のみ)。

アニメブーム

再放送で起こった本作のブームを引き継ぐ形で『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』が人気を得たことで、ヤマトブームに終わらず、アニメブームの火付け役になったとの評価が定着している。
本放送の終了後、再放送が近畿地方から始まり、のちに全国的に行われる。高視聴率を得たほか、これをきっかけに全国各地でファンクラブが結成される。ファンクラブは最盛期には全国で851団体、15万人を数えたという。ファンクラブは西崎プロデューサーの呼びかけに応えて、主題歌のラジオ番組へのリクエストや映画公開の際にはポスター貼りなどを行って、ヤマトブームの盛り上げに一役買った。ファンクラブについては、後にオフィスアカデミーが主宰して西崎が会長の公式のファンクラブも存在した。
そして、『宇宙戦艦ヤマト』によって多数誕生した中高校生・ハイティーン世代のファンへ向けてアニメ雑誌が誕生した。当時は、児童向けのテレビ雑誌の『テレビマガジン』『テレビランド』『冒険王』があった程度で、アニメ雑誌が存在せず、まずサブカルチャー雑誌としてスタートした「月刊OUT」が、同人活動を行なっていたファンをライターに起用し、1977年6月号(創刊第2号)でヤマト特集を行い雑誌としては異例の増刷になった。この『月刊OUT』の50ページのヤマト特集がヤマトブームの火つけ役だったとも言われる。さらに同年8月に発売されたテレビランド増刊「ロマンアルバム宇宙戦艦ヤマト」はファンクラブに入っていない層からの多大な反響を得て、「アニメージュ」に繋がるアニメ雑誌の流れを作る。
ヤマトによって形成された世代層向けに、本作の成功面と失敗面を研究して『機動戦士ガンダム』が企画された ことを、日本サンライズに在籍していた飯塚正夫や元社長の山浦栄二と吉井孝幸が証言している。元々『機動戦士ガンダム』の企画は、宇宙空母ペガサスを主役として企画されたものだった。バンダイにとっても、ヤマトのプラモデルのノウハウは、ガンプラに活かされることになった。

未使用設定

古代守が松本のオリジナルキャラクターであるキャプテンハーロックの名前で再登場する事や、小マゼラン星雲での戦い、ヤマト艦内に潜入した女性兵士イローゼの破壊工作なども企画されたが、視聴率低迷の影響で話数が削減され未使用に終わった。
放送開始当初は、航海途中での大規模な反乱が予定されていた。 その首謀者は初期プロットでは真田技師長だったが、監督の山本暎一が首謀者は徳川機関長だと勘違いしたため、出航当初は艦橋にいた機関長が途中から機関室に籠る描写が増えたり、島航海長と対立したりといった伏線が描かれていた。 シリーズ中盤、部下の藪機関士が徳川機関長を焚き付けるような台詞を口にした点について他のスタッフから指摘されて山本も勘違いに気付き、また低視聴率による放送短縮により徳川機関長率いる機関部員の反乱はオミットされたが、その名残として薮がイスカンダルで反乱を起こすことになる。

スタッフ
企画・原案・プロデューサー:西崎義展
監督・設定デザイン:松本零士
構成:舛田利雄、西崎義展、山本暎一
音楽:宮川泰
SF設定:豊田有恒
設定製作:野崎欣宏
メカニックデザイン:松本零士、スタジオぬえ
監修:山本暎一、舛田利雄、豊田有恒
演出:石黒昇
現像:東京現像所
キャラクターデザイン:岡迫亘弘
作画監督:芦田豊雄、白土武、小川隆雄、小泉謙三、岡迫亘弘、坂本三郎
原画:正延宏三、金田伊功、内山正幸、友永和秀、湖川友謙、山崎和男 他
音響監督:田代敦巳

企画・原案・プロデューサーは西崎義展、監督は松本零士(絵コンテ・美術・設定デザインも担当)、演出は石黒昇。松本のキャラクター原案を元にしたキャラクターデザインは岡迫亘弘。SF設定は豊田有恒。スタッフの多くが虫プロダクション(旧虫プロ)の出身者により占められた。
演出の石黒昇は、アニメには初参加だった監督の松本零士をサポートし、絵コンテを全てをチェックして、西崎と松本のイメージを画面作りに反映する演出作業を行った。石黒はSF好きということもあり、無重力での爆発などヤマト独特の爆発フォルムを産み出したり、さまざまな自然現象のエフェクトアニメーションにも手腕をふるった。作画面では、岡迫と芦田豊雄の虫プロ系と、小泉謙三のスタジオメイツと白土武のタイガープロダクションと主に東映動画(現・東映アニメーション)の仕事を主にしていた作画プロダクションに二分された。そのため、作画監督によってキャラクターの顔が異なり、そのことは逆にアニメファンにアニメーターの個性を認識させる一因となった。オープニングやバンクのヤマトの作画は泉口薫が担当した。 構成と監修でクレジットされている舛田利雄は、西崎プロデューサーから監督とストーリーの監修を依頼されたが、映画の仕事のため、企画会議に3度出席しただけで実際にはテレビシリーズには直接タッチしていない。初期の企画担当者で基本設定を考案した豊田有恒は、裏番組の『猿の軍団』の原作者の1人となったことから、脚本は執筆せず、監修という立場でSF設定の助言をするにとどまった。
富野喜幸、安彦良和らが絵コンテを担当した。もともと気乗りする仕事ではなかった富野は、発注された絵コンテのストーリーを改竄して、西崎プロデューサーを怒らせたため、参加は4話のみである。
音楽面では、西崎の強い意向で、フルオーケストラ(第1作は正確にはビッグバンド型式)をバックにした主題歌や楽曲が宮川泰の手で製作された。『ヤマト』以前は予算の制約からこのような例は多くなかった。
本作から、アニメ音楽のサウンドトラックはオーケストラが増えて、ビデオがまだ普及していない時代において音楽編とともにドラマ編がリリースされていた。

主題歌

オープニング
『宇宙戦艦ヤマト』
エンディング主題歌
『真赤なスカーフ』
2曲共に、作詞は阿久悠、作曲は宮川泰、唄はささきいさお、ミュージカル・アカデミー(初回盤)。コーラスグループは再発売の際にロイヤル・ナイツへと変更された。その後の商品化ではロイヤル・ナイツ版(の『宇宙戦艦ヤマトIII』のオープニング曲)を収録するのが通例となっていた。ミュージカル・アカデミー版は2000年春に通信販売限定で発売された『松本零士音楽大全』で初回盤以来の商品化(初CD化)が実現した。2001年、本編に使用された歌曲を全曲収録した「宇宙戦艦ヤマト ETERNAL EDITION File No.10 Yamato The Best」に「ミュージカル・アカデミー」版が収録され、通常市場にて正式に復活した。その反対に「ロイヤル・ナイツ」版が番外化し、他の本編未使用歌曲とともに「Yamato The Best II」に収録された。
ささきいさおは、話が来たときには複数の歌手が候補に挙がっていて子門真人の歌はすでに録音されていたと証言しているが、子門版の音源は未発表。
『さらば~』上映期の「ヤマト・ファンクラブ本部」会報等に阿久悠作詞の3・4番が掲載された。どこかで歌唱されたとの説もあるが、その音源が存在するかは不明である。
エンディング主題歌『真っ赤なスカーフ』は、プロデューサーの西崎義展がファンクラブにリクエストするよう働きかけ、ニッポン放送のリクエスト番組で1位になった。
オープニング主題歌は21世紀に入ってからも高校野球の応援歌の定番の曲で、阪神甲子園球場などではブラスバンドが頻繁に演奏している。そのほか、Jリーグ・柏レイソルの応援歌としても採用されている。2007年のリーグ戦ではこのアニメのネタを引用して、試合に勝利するたびに「地球滅亡まで勝ち点○○」という横断幕が掲げられた。海上自衛隊の海外派遣の際には見送りの曲として使用される。阪神タイガースの前田大和は、自身の名前にちなんで入場曲として採用している。
2006年3月21日に亡くなった宮川泰の葬儀時、本人の生前の希望で葬送の曲として使われた。
オープニング主題歌のバージョン
テレビ版『宇宙戦艦ヤマト』のオープニングで使用された主題歌には、4バージョンが存在する。
イントロ部の異なる、5話〜第11話、第12話〜21話の2種類。
イントロ部が合唱。上記バージョンとはコーラスと曲のミックスが異なる。ささきいさおの歌は軽くエコーが掛かっているが同じ音源を使用している。エンディングのコーラス部分と長さ、歌詞表記の有無、アニメーションが異なる、1話〜4話・22話、23話〜25話の2種類。
『宇宙戦艦ヤマト2』
『宇宙戦艦ヤマト』第12話〜21話で使用されたバージョンのイントロのサウンドエフェクトが異なっている。
『宇宙戦艦ヤマトIII』
『宇宙戦艦ヤマト2』と同じバージョンの最後の部分(「銀河を離れ〜」以降)を『宇宙戦艦ヤマト』の別バージョン(『宇宙戦艦ヤマト』で使われたイントロ部が合唱のバージョンで、エコーが掛かっていないもの)に差し替えてミックスした曲。エンディング部分が短くなっている。
第1話NG版の子門真人風に歌う山崎あきらの別テイクが収録されている。
『英語盤 SPACE CRUISER YAMATO』
EP盤。発売元:日本コロムビア株式会社。商品番号:CK-517。発売日:1978年12月。価格600円。
A面:SPACE CRUISER YAMATO(2分12秒)。
B面:THE RED SCARF(3分00秒)。
2曲共に、作詞:DONALD P.BERGER、作曲:宮川泰、歌:ささきいさお。
海外輸出版の主題歌
Star Blazers-Iscandar(Star Blazersの最初の主題歌、歌手不明)
Star Blazers-Comet Empire
Star Blazers2

劇場版

1977年、テレビ放映版を再編集して公開された。テレビ放映は商業的に失敗に終わったヤマトを、日本国外輸出向けに舛田利雄と山本暎一らの協力で再編集したもので、西崎プロデューサーはこれを最後にアニメから手を引き、ファン向けに1週間だけ劇場公開するつもりだったという。
映画公開に先駆けて、再放送の人気やサントラ盤発売、ファンクラブの活動が新聞などで話題として取り上げられる。さらに8月6日にオフィスアカデミーの自主配給により東急レクリエーション系の東京都内の劇場4館で公開したところ、セル画プレゼントを目当てにして公開初日に徹夜するファンの行動が、新聞などで話題として取り上げられる。アメリカ映画の『エクソシスト』で徹夜が生じたことはあるが、日本の映画で初めて徹夜組が出たのはこのヤマト劇場版第一作だと言われている。
この反響により、地方都市の配給は東映が担当して東映洋画系にも拡大されて地方のブッキングが進み、全国ロードショーとなる。地方での上映館が増えたのは、アメリカ映画『ブラックサンデー』の上映中止事件により番組の空いた地方の映画館が存在したことも一因だった。最終的に225万2000人の観客を動員し、9億円の配給収入をあげて、1977年の日本映画では9位の興行成績を記録したヒット作品となった。
当時は長編のアニメ映画といえば、東映動画(現・東映アニメーション)による低年齢向けの東映まんがまつりの独擅場という状況であったが、劇場版ヤマトのヒットはこの状況を打ち破り、ハイティーンのアニメファン向けにテレビアニメ再編集版や新作の長編アニメが続々と劇場で公開されるアニメ映画ブームをも巻き起こした。宣伝面では従来の「まんが映画」に代わって「アニメ」という言葉を全面に押し出し、おまけつき前売り券や初日舞台挨拶、セル画プレゼントなど後のアニメ映画で一般的になる手法を使ったはしりとなったのが本作である。
1977年に最初に劇場で上映されたバージョンは、テレビシリーズとは異なりスターシアが死亡しているストーリーになり、その部分の作画も新たに起こされた。よって古代守の生存・再登場もない。俗に「スターシア死亡編」と言われる。この新作部分の絵コンテは石黒昇が担当した。
劇場公開の翌年、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』公開の前日の1978年8月4日にテレビ放送されたときは、スターシアが生存しており救出された古代守と恋愛関係にあるというテレビシリーズに沿った形で130分だったものが146分に再編集された形に改められて、これは「スターシア生存編」とも言われる。放送したテレビ局はテレビシリーズの日本テレビ系ではなく、フジテレビであり、日本テレビと競り合って、5,000万円で放送権を取得。視聴率31.9%を挙げた。以後、死亡編は再公開の際には上映されなくなり、翌1979年にフジテレビが放送した『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』はスターシア生存編に則ったテレビ版第1作及び『2』の続編となっており、死亡編はヤマトシリーズの正史ではなくなっている。

宇宙戦艦ヤマトシリーズ

劇場映画

『宇宙戦艦ヤマト』1977年8月6日公開。
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』東映、1978年8月5日公開。
1978年に公開された『スター・ウォーズ』と並んでSFブームの牽引役となった。
『ヤマトよ永遠に』東映、1980年8月2日公開。
『宇宙戦艦ヤマト 完結編』東映、1983年3月19日公開。70mm版1983年10月5日公開。
『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』東宝、2009年12月12日公開。
テレビシリーズ
『宇宙戦艦ヤマト』1974年10月6日 - 1975年3月30日 読売テレビ系 全26話
『宇宙戦艦ヤマト2』1978年10月14日 - 1979年4月7日 読売テレビ系 全26話
『宇宙戦艦ヤマトIII』1980年10月11日 - 1981年4月4日 読売テレビ系 全25話
テレビスペシャル
『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』1979年7月31日放映 フジテレビ系(1981年3月14日に劇場公開)
『宇宙戦艦ヤマトII 総集編・ヤマトよ永遠なれ!(後に『宇宙戦艦ヤマト2 総集編』に改題)』1979年10月6日 読売テレビ製作・日本テレビ系(『ヤマト2』を再編集し、一部音楽の差し替え、アフレコの追加等を行ったもの)
『新竹取物語1000年女王 松本零士の世界』1980年11月11日放映 フジテレビ系)『新竹取物語 1000年女王』を紹介・宣伝する特別番組。松本ブームが最高潮だったため、『ヤマト』『銀河鉄道999』など多くの松本アニメに登場するキャラクターと実写パートを組み合わせて製作された、凝った形態の作品。本項目のキャラクターも同番組に比較的多く登場している)
『宇宙戦艦ヤマトIII 総集編・太陽系の危機!』1983年12月28日 読売テレビ系水曜ロードショー枠で放映(『ヤマトIII』の総集編)
オリジナルビデオ
『ヤマトわが心の不滅の艦 宇宙戦艦ヤマト胎動篇』
『YAMATO2520』及び『宇宙戦艦ヤマト 復活編』のプロローグビデオ
『YAMATO2520』
実写版
『SPACE BATTLESHIP ヤマト』東宝、 2010年12月1日公開

アニメ作品間の時系列 [編集]

ガミラス帝国の侵略に立ち向かい、14万8千光年の彼方のイスカンダルへ放射能除去装置コスモクリーナーDを求めて、250年の眠りからよみがえったヤマトが宇宙戦艦となって旅立つ。
映画『宇宙戦艦ヤマト』には、映画向けの改編の結果、後の作品へのストーリー上の影響の点でいくつかの不足点が見られるため、テレビ版を基本としておく。

危機を訴えるかすかな通信を受信したヤマトのクルーは、平和を謳歌する地球を後に電波の発信元・テレザート星を目指し、強大な白色彗星帝国との戦闘に突入していく。
映画『さらば』とその後に作られたテレビ『2』は、同じストーリーを元にしつつも結末が異なり、これ以降の作品は主要クルーのほとんどが生存しヤマトも健在で残った『2』が基本になる。

故郷であるガミラス星に戻ってきたデスラー総統以下ガミラス残存艦隊は、無人のガミラス星で地下資源を採掘している暗黒星団帝国と遭遇、交戦中にガミラス星が崩壊した余波で、ガミラスと二重惑星を構成していたイスカンダル星が軌道を逸脱して暴走をはじめた。
新兵の訓練航海中だったヤマトは、デスラー総統からの救援要請を受け再びイスカンダルへ向かい、ガミラス艦隊とともに暗黒星団帝国との戦闘に突入する。

外宇宙から巨大な光球飛行物体が飛来し地球に着陸するとともに、暗黒星団帝国の大艦隊が侵攻、地球の都市は次々に制圧されてしまう。英雄の丘に集結したヤマト乗組員たちは地球を脱出し、真田志郎の待つ小惑星イカロスでパワーアップされたヤマトと再会する。光球飛行物体が地球上の全生物の脳細胞を破壊する重核子爆弾であることを知ったヤマト乗組員たちは、その起爆を阻止すべく、暗黒星団帝国の母星デザリアム星へ旅立つ。

銀河を二分するガルマン・ガミラス帝国とボラー連邦の星間戦争の余波で惑星破壊プロトンミサイルが太陽に突入、太陽の核融合の異常増進により危機に陥った地球から、新たな移住惑星探査と対策調査のためにヤマトが旅立つ。

異次元断層から現れた別の銀河が地球を含む銀河と衝突し、多くの星々が消滅した。水惑星アクエリアスにより母星を失ったディンギル帝国は、そのアクエリアスを操ることにより地球の都市を水没させてその後に移住をしようと企む。ヤマト・地球艦隊はアクエリアスの接近を阻止するため、ディンギル帝国軍と戦う。

カスケードブラックホール接近によって太陽系消滅の危機の中、人類は惑星アマールの衛星への移民を計画。しかし人類殲滅を目論む異星人連合艦隊に対し、ヤマトは第3次移民船団の護衛任務に就く。
『ヤマトIII』は放送当時は2205年という設定だった(劇中では明示されていない)が、その続編である『完結編』が2203年に設定されたことにより、それ以降の資料では2202年とされている。

テレビ1作目

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さらば宇宙戦艦ヤマト

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ヤマトパート2

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ヤマトよ永遠に

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